母方のばあちゃんが仏様のところへ旅立った。
1/2に米寿の誕生日を迎えて、札幌に親戚一同集まりお祝いした直後のことだった。
自宅に帰って2日後、朝仏壇に念仏を唱える声が掠れていたらしく、
家に泊まっていたおじさん達が病院に連れて行こうとしていた矢先、くも膜下出血が発症して倒れたそうだ。
そして3日意識が無い状態が続き、そのまま亡くなった。
ばあちゃんとの思い出
私が初孫だったこともあり、小さい頃は親戚の中で一番に私を可愛がってくれた。
15年近く前にじいちゃんを亡くしてからは、お家にひとりで暮らしていた。
ここ数年は足が悪く、買い物に出かけるのも大変な位体力が落ちており、家にいる時は仏間とリビングの間を往復するくらいで、あとはテレビを見ているような生活だったよう。
家にひとりでいる時に倒れなくて良かったと思う。
そして、お寺の活動にとても献身的だった。お寺のボランティアにも積極的に参加していた。
うちは年末年始にばあちゃんの家で過ごすのが決まりになってて、
私は、毎朝長い時間仏壇の前で念仏を唱えるばあちゃんを見て育ってきた。
実家には仏間が無いから、ばあちゃんに仏様やご先祖様を大切にする心を育てて貰ったと思う。
夫の実家で仏壇に手を合わせるときも、ばあちゃんを思い出した。
私ら家族が健康でいられるのは、ばあちゃんが毎朝仏様に家族の健康をお祈りしてくれていたおかげだといつも思ってたよ。
そういった内容の手紙を米寿のお祝いの際に渡したけど、多分読まれず鞄に入ったままだったので、
お棺に入れて一緒に燃やしてもらった。
親戚いっぱいで賑やかなお通夜、みんなに惜しまれながら送り出され、ばあちゃんが愛されてたことを感じた。
意識が無くなる前の出来事
札幌へ行き来する際、何食べたい?とばあちゃんに聞いたら
ケンタッキーフライドチキンを食べたことがないから、食べてみたい。
と言ったらしい。
思い返せばそれも珍しいことだったよね。と母と話した。
帰りは温泉に寄ってさっぱりしたあと、ソフトクリームを食べたらしい。
意識がなくなった日も、その日の夕方までもたないと先生に言われていたが、奇跡的に持ち直して、母が駆け付けるのも間に合った。
(じいちゃんが亡くなったときは急で間に合わなかったから、今回は間に合ってほんとに良かった。)
そのあとひと通り親戚がお見舞いに来たところで、母ひとり見守る中、急に亡くなったらしい。
理想的な死に方で正直羨ましい。
ばあちゃんが危篤になったことを聞いた時、当然驚いたし悲しかったけど、
お迎えが来たんだな、皆に会うまで待っててくれたんだな。と思った。
ばあちゃんは、やっとお迎えが来たと思ったんだろうか?
それともまだ生きていたいと思っただろうか?
死に化粧をして、花に囲まれたばあちゃんは、元々肌が綺麗なのもあり、人形のように綺麗だった。
住職さんが、今までありがとう。と声を震わせていた。
これからは仏様の元で私らのことを見守ってくれるでしょう。
おじいちゃんにも会えたかな?